2019年12月3日 星期二

[空手道] 型競技に反映されない、伝統型の一要素(型競技無法反映出的,傳統型的重要要素)(影片翻譯)

一樣打完有段時間都沒公開的文章
這個影片是沖繩的文武館 二代館長 仲本守先生拍攝的
文武館是現今沖繩古武道最有名的幾間道場
他們的沖繩古武道師承 平信賢先生
空手道流派則是小林流
初代館長 仲本政博先生也跟 東恩納先生一樣是沖繩縣指定的無形文化財保持者
輩分甚高

仲本守先生約略在今年中開始拍攝了一連串跟沖繩古武道相關的影片
其中有一系列是關於沖繩空手古武道的小講義
我並沒有全部看完
主要是沒有時間啦
這篇之所以翻譯是想要兩相比較我們跟其他流派對型的認知

內容跟文稿都在此
https://www.youtube.com/watch?v=kIh6SckKvOQ

畢竟不是專業翻譯,搞不好有地方意思有跑掉
請多見諒




伝統型と競技型は全く違います。
傳統型與競技型是完全不一樣的東西 首里手は表情を見せませんが、眼力は必要です。
首里手雖然是不讓人看出表情變化的,但卻需要能鑑別的眼力(*1)

*1 東恩納先生也是這樣教導的,表情要是撲克臉
ある系統では、歯は食いしばるが、口元はリラックスさせます。 有的系統雖然是要咬緊牙關撐過去的樣子,但是嘴巴卻是放鬆的
伝統型で型競技に出ると、表情がない⇒迫力がないとなりがちになります。 傳統型在競技的場合打出來的話,都會被說沒有表情,也就是說沒有表現的魄力
首里手では、出来るだけ呼吸も見せません。
首里手是盡可能不被人看出呼吸的(*2)

*2 我們也是如此,除了基本型‧三戰跟轉掌外的開手型,一律不準讓人看出呼吸

ある系統の教えでは、用がある部分だけに力を入れ、それ以外の部分は軽く添えるだけです。 
有的系統是這樣教,只有真的要打下去的部分有用力,其他部份都是輕輕的帶過就好(*3)

*3 我們是看階層去決定,初學者就是力量速度全部催下去練,上段者在受け的部分就要有ムチミ(MUCHIMI)的味道在,但也不是不用出力輕輕帶過
反対側の腕の力などは、借りないようにします。 另一手的腕力也不會借用到的去做
このような伝統型の教えに基づき、型競技に出ると、 いろんな箇所が弱く見え、不十分に感じられるかも知れません。
基於這樣的傳統型教學去打型的比賽,就會有很多地方會看起來很弱,感覺會看來會很不充實的感覺 ある系統では、引手の位置も一般的な空手よりも少し前に拳を置くので、型競技では引手が甘いとの評価を受けやすくなります。 有的系統是拉手的位置會比一般空手(流派)的人,將拳頭放得還會前面一些,這在比賽中也會有被說拉手做得不確實的批評
型競技では、伝統型の通りにやればやるほど不利になります。 對於型競技比賽,用傳統型的打法是打越多會越不利的(*4)

*4 其實仲本守先生本身也在古武道型競技比賽取得很好的名次,在他其他關於型的影片裡面也有提到實際練習的傳統型跟比賽用的競技型的差異,而他兩個都會打
ですから、型競技には参加する意味がないわけです。 所以對於這樣的型競技而言,參加是沒有意義的
そこで勝ちたいために、わざわざ型を変える必要もありません。
就為了要在那裏取勝而特意改型的必要也是沒有的 伝統型をやっている人たちが、型競技で勝ちたい!と思うことはあまり良くないかと思います。
練傳統型的人們,有「想要在型比賽中取勝」這樣的想法我覺得並不好 勝ちたい場合には伝統型を捨てる必要があります。 想要獲勝的話,就必須要捨棄傳統型
伝統型をしっかり守っていきたい人たちは、型競技に出る必要はないわけです。 對於想將傳統型好好守護下去的人們,並沒有去打型比賽的必要
伝統型を捨ててまで、型競技に参加する意義があるのでしょうか? (為了贏得比賽而)捨棄傳統型,那參加型比賽的意義還在嗎?
型は全ての動作を力強くする必要はなりません。 型並不是所有的動作都要強而有力的
型の中身(分解など)との整合性が大切です。 型裡面的內容(如分解),這些的整合性才是最重要的(*5)

*5 基本的分解還是必要的,但把基本分解錯當真正的用法就不可行,基本的分解內容只是作為觸類旁通的發想,並不是真正的用法
そんなに力を必要としなくても、技が掛かるポイントがあるわけですから、力を必要とせずに技が掛かる所にわざわざ最大の力を出すのは無駄になります。
因為使出技法的會有關鍵點,所以也不靠力量也沒有關係,不需要力量的去出招的地方特意去出最大的力量就會變成沒有效果(沒有意義)
ですから、型の中では最大限の力を出す所や柔らかく行う箇所がありますので、それを知らずに型見ると、そういう部分が弱く見えてしまう可能性があります。
因此在型裡面,有分最大力氣打出的地方與相對鬆力陰柔的去打的地方,不知道這些而去看型的表現,就有可能因為相對鬆柔的部分被說是很弱的可能性在 本当の評価(審判)は、型の中身が理解出来てないと無理なのです。 如果沒有對型的內容有理解的話,想要對內容做評判是根本不可能的(*6)

*6 這讓我想起以前在沖繩參加地區性的型比賽時,上原先生坦承他看不懂首里手的型,在無法評判的狀況下就只能用選手的力量速度,以及動作的華麗度來評判勝負

伝統型の見え方と、競技型の見せ方(魅せ方)の違いをしっかりと認識しなければなりません。
對於看傳統型的方法、和競技型的表現方式是不一樣的,必須要很清楚的有這點認知才行(*7)

*7 首先還是要能理解自己在做什麼才能去評判吧,而這就必須要先從傳統型,也就是先練型真正的樣貌之後才知道差異跟益處在哪

このような違いが沢山ありますので、私たちはそのようなところを守りながら取り組んでいかなければならないのではないでしょうか?
像這樣的差異是非常多的,我們是不是必須一邊守護(空手的原貌)一邊面對這樣的事情呢?

沒有留言:

張貼留言