2016年12月21日 星期三

[空手道] 沖縄空手の型(翻譯)



以下內文擷取自此書第三章的<型與三大流派>之64~70頁
其實此翻譯已經是我去年就看完然後翻給眾師兄弟看的
儘管我覺得此書有些地方寫得太過隨興簡略,但內容還是蠻有意義的
現在選擇公開這篇內容
裡面除了翻譯也搭配原文、及我自己的注釋
若有翻譯不到之處,請不便賜教

以下採訪內容回答者有:
IOGKF(国際沖縄剛柔流空手道連盟) 東恩納盛男先生

技能の集大成にして伝統継承の手段 

作為傳統繼承手段的技能整理


空手の修練体系には「型」と「組手」がある。
空手道的修練體系是「型」與「對打」。

型は規範としての空手であり、組手は運用としての空手であるといえる。本来、この二つは相互補完的に密接な関わりを持つが、運用は個人の資質、または相対する敵によって変化する性質を持つ。
型是空手的一個準則,對打則是空手的運用體現。本來,雖然這兩者是有相互補完地關係密切在,但也有依個人資質、或是依據敵人的不同而產生變化的性質在。


しかし、規範となる型には変容は許されない。それは先達が磨き上げた技術の集大成であり、後進に受け継がれるべきものだからだ。だからこそ型には厳正な規範と原理が必要とされ、伝統技芸たり得るのだ。
但是,作為準則的型是不允許去做改變打法的。那是前輩們磨練出來的技術整理,應該傳給後人的東西。正因為如此,對於型,它需要嚴正規範其打法與原理、從傳統技藝裡面得來的。

また本土の現状を見ればわかるように、型は、空手が競技主体のスポーツ化することによって、より大きく、より華やかに、よりわかりやすくと、型が本来持つ特徵とは反対の方向に変化していってしまう。型の崩れである。格闘術としてあるならば、動きは極力小さく速く、華やかである必要はまったくなく、動きは他人から見てわかりにくいほど良いはずである。
又看了本土的現狀就能理解的,型在競技為主的運動化後,動作要比之前更大、更華麗、更容易讓人懂,型本來擁有的特徵已經往向另外一個方向變去。這就是型的崩壞。作為格鬥技術而言的話,動作要盡量越小越快、根本不需要看起來華麗的東西,動作是旁人看來越難理解的程度才是好的。

沖縄でも、今の若い世代は競技によって日頃の練習成果を試したいと考える人が増えており、それに伴う型の崩れは問題になっている懸案の一つだ。先手必勝の点数至上主義的風潮は型の変化を許容している。この姿勢が問題なのだ。そんな若い世代に、如何に正統的な空手を伝えるか?そう考えた場合、やはり長年培われた伝統的な動きの集大成である型によって伝えるしかない。
即使是在沖繩,現今年輕世代想要在體育競技裡試著自己每日練習的成果的人越來越多,這也是造成型崩壞一個難以解決的原因。先打先贏、得點為主的風潮影響下,產生了型的打法被改變也是容許的這種態度就是個問題。在如此的年輕世代裡,如何傳授正統的空手道呢?如此想,還是只能藉由傳授長年發展、整理傳統動作出來的型來達成此一目地。

つまり、沖縄空手によって型とは、先達が長年の試打錯誤の末に遺した「武術としての技能の集大成」であると同時に、数百年の歴史を持つ伝統技芸を正確に継承し、後の世に伝えるための方法という、二つの大きな側面を持つ。
也就是說,對沖繩空手道的型而言它擁有兩個面向。一是前輩們長年累月試誤出來、流傳「作為武術的技能整理」的結果。同時也是作為判斷是否正確傳承這項擁有數百年歷史的傳統技藝的方法。


型は実戦に使えるか? 
型能在實戰中使用嗎?

本土の空手家たちが、型を俎上に上らせるときに必ずといってよいほど話題にするのが「型は実戦に使えるか?」という疑問である。本書を執筆するに当たって取材させていただいた沖縄の達人達は、この問いに対しては一様に「型そのまま実戦に使う」という考え方自体が本質のはきちがえであり、間違っている、と口を揃える。
(日本)本土的空手道家們,只要提到型,就一定會提到這個話題:「型是能在實戰中使用的嗎」這樣的疑問。在寫這本書時向沖繩的達人們詢問這個問題,他們都一致認為「型就這樣在實戰中使用」這樣想的人本身對(型的)本質並不清楚。

つまるところ「型の本質は、心技体の鍛錬にある」と達人たちは言う。達人達が語っている内容は、空手に限ったことではなく、すべてのことに共通しているものなのだ。
達人們一致認為,「型的本質就是心技體的鍛鍊」,這不只是單指空手(),所有的東西都有這樣的共同點。

例えばスポーツを例にとれば、イチーロ選手や松井秀喜選手は、大リーガーになっても素振りは欠かさないという。別段面白くもない素振りだが、黙々とひたすら繰り返すことによってバットを振る感覚を身体に染み込ませるのである。それがいざというときに物をいうのだ。仕事でも同様だろう。
用運動來舉例,鈴木一朗跟松井秀喜就算到了大聯盟也沒有停止揮棒的練習。雖然揮棒的練習不怎麼有趣,透過默默重覆揮棒讓自己的身體徹底記憶住揮棒的感覺,這是為了能在重要的時刻能有好的發揮。工作也是同樣的吧。

「型とは技の集大成であり、繰り返し練習して身体に染み込ませた技でなければ実際には使えない」と達人達は語ってくれた。つまり、型は実戦のシミュレーションというわけではなく、実戦で使うための技を身体に覚えこませるためのである。身体に染み込み、いざというときに無意識に身体が動いて初めて、その型を会得したといえるのだ。
達人們如是說,「型是技術的集大成,反覆不斷練習讓身體完全記住裡面的技術才能在現實中使用出來(*1)」。也就是說,型並不是去模擬實戰,而是在實戰中為了能使用身體已經記住的技術來的。當身體已經記憶住,到重要時刻身體開始能無意識的自己反應,這個型才能說是已經理解了。

*1 個人練習經驗認為,還是要透過適當的基本分解練習才能達到這種境界

武術空手を標榜し、伝統空手の旗手のひとりである少林流の島袋善保師範は、「いざ実戦となったときに、頭で考えて動くようじゃ話にならないですよ。というより動けない。心が迷うし、身体もついて来ないんです。毎日の繰り返して身体に染み込ませた技しか頼まれるものはないんですよ」と語る。つまり、日々の型稽古で身に覚えこませた技だけが実戦に耐え得ると言うのだ。
標榜武術空手、身為傳統空手領導的其中一人,少林流的島袋善保師範說:「當遇到實戰的時候,想用頭腦去想了再行動是不成的,或更確切說是會動不了。心一迷惘身體就跟不上來了。只有每天不斷的重複練習讓身體記住這些技術才是可行的」。也就是說,經由每天的型練習,讓身體記住這些技巧才能承受實戰中的種種。


また、本土では「型の使い方」のように扱われている「分解」は、沖縄では初級、中級、上級などと段階かに分けて教えられると言う。本土では一般的に「型の分解」とは、その形はどのような技で、どのように使うか、ということを指す。しかし沖縄空手においては、その分解は一番初歩の分解であり、初心者が演武する際に、知っていれば多少は動きやすいだろう、程度の意味しかない。なぜならば、ここが本土の空手家達が一番問題にする「型通りの攻防などあり得ない」からである。

另外,(日本)本土所謂的「分解」是像「型的使用方法」這樣的意思,在沖繩是有分為初級、中級、上級這樣的階段的去教。本土一般所謂的「型之分解」是這個型是如何的技巧、如何使用這樣的意思,但在沖繩空手,這種分解的意義只是最初步的階段,初學者在演武時只知道一些分解的話會比較好打吧?只是在程度上的意義,為何會這麼說呢?因為這也是(日本)本土空手道家最大的問題:如同型一樣的攻防是不可能存在的。(*2)

*2 學者、或是一些對型一知半解的人只知道了型最初的使用方法,就想說這樣的攻防是不可能的,因此認定型的動作是沒意義的事實上這些動作並不是真的如同型的打法一樣使用,這些動作是複數的混合,是視情況而定來做改變應用,而不是像表面上那麼膚淺

技の用法は、相手の体格、位置関係、場合、場所、等々、さまざまな要因で簡単に変化してしまう。また、変化できなければそんな技は実戦では使えない。つまり、実戦において「この型こう使う」等という単純な分解など意味がないのである。
對手的體格、與對手的相對距離、在什麼樣的場合、地方等等種種原因之下,技術使用的方法很容易就會產生改變。在實戰中必須要針對上述情況去改變這些技巧的用法才能真的使用出來,也就是說在實戰中「這個型是這樣使用」,如此單純的分解是沒有意義的。

剛柔流の東恩納盛男師範も武術空手の権化であり、現在の沖縄空手界有数の達人である、東恩納師範の武勇伝は、本土でも半ば伝説化して語られているほどだ。その東恩納師範は「いつ何どきでも、どこでも、同じように技を使えなければ意味がない。それは、その技が自分のものになってないということ。それを自分のものにするのは、繰り返しの型の鍛錬しかないんです」と教えてくれた。インタビューをお読み頂ければ分かるように、東恩納師範は今でも初級型の撃砕を100回以上繰り返して、技の確認をすることがあると言う。
剛柔流的東恩納盛男師範也是武術空手的象徵,現在沖繩空手道界的領導人物之一,其武勇事蹟在本土也有半數被傳說化的流傳下來。這樣的東恩納師範被這樣教導著「無法在不同時間、不同地方使用(練習過)的技巧是沒有意義的。無法做到這樣就代表還沒將這些技巧變成自己的東西。要將這些技巧變成自己的東西,除了反覆不斷鍛鍊型之外別無他法」。如同讀了訪談內容就了解的一樣,東恩納師範至今為止(2009),初級型‧擊碎也是(每日)反覆打100回以上去確認裡面的技巧。

また、島袋師範と東恩納師範が共通して「もちろん組手は大切です。ただそれは、相手との間合いの確認や、型稽古で感得した技の実戦的確認作業に過ぎない」と語ってくれた。つまり、組手や実戦は、日々繰り返す型稽古あってものである、ということなのだ。さらに、伝説的拳聖.喜屋武朝德(チャンミーグァ)も、自由組手は否定しなかった。しかしそれには「まず唐手の如何なるものかを教え、基本の攻撃攻防を教え、五体を鍛え、型に習熟したる後に試合に移ること」と述べている。型の十分な習熟があって初めて、くみてが空手として意味を成すのである。
島袋師範與東恩納師範都這樣說「當然對打是很重要,但那只是作為掌握對手距離,與在實戰中確認平常練習型所學到的技巧的訓練」。此外,傳說中的拳聖喜屋武朝德(*3)對自由對打也沒有持否定的意見、但也是要先學習唐手裡面有的各種東西、基本的攻擊攻防學習、身體的鍛鍊,和型已經熟練之後才開始做對打訓練。要對型非常純熟後,對打對空手道才有意義。

*3 喜屋武朝德先生是琉球王族後裔,在沖繩首里手系的流派泰半跟他有關
其介紹可參考wiki: 
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E5%B1%8B%E6%AD%A6%E6%9C%9D%E5%BE%B7

操体法を型で身に付ける 

用型讓身體記住操縱身體的方法



それほど重要な型であるが、繰り返しで技を身に付けるなら、基本稽古でも良いはずである。それが何故型なのか?
雖然型是如此程度的重要,如果是要反覆不斷練習地讓身體去記住裡面技術的話,基本練習不也能夠達成一樣的目的嗎?那為何還要練型?

型の中には、受け、突き、当て、蹴りは言うに及ばず、掴み技や投げ技までを内包し、それが定型の演武線上に歩法を伴って展開される。つまり、型は動きの中に技が存在するのである。
型之中有受、突、當、踢等大家都已熟知的東西外,抓、投等技巧也包含在裡面,此等技法是在固定的演武線伴隨著步法施展出來的。也就是說,型的技法是存在於裡面的動作之中的。(*4)

*4 練習讓身體因應實戰時對手體格、距離、場合等因素,條件反射的選擇符合當時情境的技法


松林流の新里勝彥師範は、「動きの中で使えない技など、まったく意味がない」と言う。さらに、「動きの中で自在に技を使うことが一番難しい」とも語る。それを身につけるのが型稽古であり、その中でも基本型とされるナイハンチや三戦なのである。
松林流的新里勝彥師範如是說:「無法在行動中使用的技法,簡直就是沒有意義。在行動中自在的使用技法是最為困難的」要讓身體通達的去使用就只有透過練習型,而此中也包含被稱作基本型的「內步進(*5)」與「三戰」。

*5 松濤館的鐵騎

これら二つの鍛錬型で身につけるべきは、攻防の技術ではない。それ以前の、攻防の技術を操るための身体の使い方だ。特に三戦は、剛柔流独特の呼吸法と身体の締めに目が生きがちだが、三戦立ちで腿と膝を締め、肩を落とし、腹を引いて全身の筋骨を一体化させる統一体作りと、顎を引いて丹田に力を込め、腰を入れた体勢で重心を真下に落とす体軸作りが、操体法として最も重要である、と新里師範は喝破する。
用這兩個鍛鍊型習得的並不是攻防的技術,而是為了習得攻防技術之前所需的身體使用方法。特別是三戰,雖然要無意識地將注意力集中在剛柔流獨特的呼吸法與緊縮身體,但用三戰立將腿跟膝緊縮、沉肩、縮小腹,將全身的筋骨整合起來,縮下巴、力進丹田、腰穩定不動的狀態下做出重心直下落地的體軸,作為身體操作方法而言是最重要的事情。新里師範如此道破。

同様にナイハンチについても、横への動きで身体が流れることなく、常に中心線を保って動くことで体軸を作り上げ、さらに身体を正面に向けたまま左右に威力ある攻撃を繰り出せるように修練することで、腰使いや全身の筋力の使い方を学ぶと言う。
同樣關於內步進也是一樣(是訓練身體使用的方法),橫向的動作並不是移動身體,而是用維持中心線的動作去訓練完成體軸、再更進一步的維持著身體面向正面持續不斷的訓練左右有威力的攻擊,這是使用腰跟全身筋力的方法。

つまりはこれが、「チンクチ」であり、「ガマク」である。沖縄の達人達は、ガマクもチンクチも特別なことではないと言うのだが、実際のところ本土における多くの空手家と沖縄空手家の動きが違うことは、確かなところでもある。
這就是所謂的「ChinKuChi」、「GaMaKu」。沖繩的達人們並不會特別去說這兩個概念,但實際上的確有很多(日本)本土的空手道家與沖繩的空手道家在動作上(的使用)有些不同。

ガマクやチンクチは、最近では本土のみならず海外でも、沖縄秘伝のようにとらえられて有名になったが、言い換えれば「体軸を保ち、腰を入れて、全身の筋肉と骨盤を使う」ということになる。これらは空手のみならずあらゆる武道で使われている言葉であり、あらゆるスポーツ゚にも共通する身体操作である。
ChinKuChi」跟「GaMaKu」是最近不管本土或海外雖然把這個當作是沖繩秘傳的技術,換個方式講這兩個詞的意思就是「維持體軸、讓腰穩定、使用全身的筋肉與骨盤」。這不是空手道才有的玩意,所有的武道、體育相關都共同有的身體操作法。

例えばインパクトを伴うスポーツとして、ゴルフでは、(右ヒッターの場合)大きくテイクバックを取って重心を右に寄せた位置から、左へ一気に重心を移しながらクラブを振り下ろす。このとき、インパクトの瞬間に左足を踏ん張ってカベを作り、身体が左に流れるのを防ぐ。これは体軸を重心に保つためである。身体の軸が左に流れてしまうと、グラブのフェイスが開いてスライスの原因となる。
舉例來說,如高爾夫球一樣有著打擊的運動,(右打者的情況)準備揮桿時將重心移往右邊開始,接著一口氣將重心往左邊移動,同時將球桿往下揮去。此時,在衝擊瞬間下將左腳固定住、彷彿有個牆擋在前面,來防止身體向左邊移動。這是為了維持住體軸的重心,要是身體的軸心往左邊偏移的話,將會造成球桿擊球面打開而擊成往右的曲球。

野球では、右打者の場合、構えから大きく左足を踏み込んで重心を前に移すが、インパクトの瞬間には右足を踏ん張ってボールの力に負けないようにかべを作る。このカベが弱ければ力の無い打球となって多きな飛距離は望めない。
以棒球右打者的情況,從開始的姿勢,左腳大幅度的往前踏讓重心移動的話,在打擊的瞬間、以不輸給球過來的力量、彷彿有牆擋在前面地將右腳固定住。若是這個牆不夠強,將會造成沒有力量的打擊,打擊出去的球大概也不用指望能飛多遠了。

パンチを当てるということは、力学的にいうと質量と質量のぶつかり合いである。パンチの持つ質量が、的の持つ質量に当たると、インパクトの瞬間、パンチの威力と同等の力が反作用として返ってくる。この反作用の力を、腕、肩、背で受け止めきれないと、身体は分散させて処理するためパンチの威力は減少する。
用力學的角度去說明明拳頭打擊目標,就是質量與質量的角力。拳頭所持有的質量擊向目標所持有的質量,打擊到的瞬間、拳頭的威力與之同等的力量將會做成反作用反撲過來。這個反作用力要是手腕、肩膀跟背部無法承受住的話,則身體會翻散其作用力導致拳頭的威力就減少了。

つまり空手では、ゴルフにおける左足のカベ、野球における右足のカベ、これら二つのカベを作る動作を一気に行い、自分の攻撃力を効率良く相手に伝えることが重要となる。具体的には、突く瞬間に一気に踏み込んで重心を前足に移し、後ろ足にで地面を蹴った力を腰の回転力を使って背から肩、腕、そして拳へと伝えていく。このとき、前のめりや反り身になることなく、上体を崩さない体勢を保つ。
也就是說,空手道是將(前述的)高爾夫球的左腳固定,與棒球的右腳固定動作,這兩個動作一口氣進行、讓自己的攻擊力能有效的傳導到對手。具體來說,在打出的瞬間一口氣將重心往前腳移動踏出、使用腰的迴轉力將後腳往地面蹬出的力量從背往肩膀、手腕,最後拳頭的方向傳導出去。在這個時候,身體不是變成前傾或是往後挺的狀態,而是上半身保持穩定直立的態勢。

沖縄空手の師範方による動きでは、インパクトの瞬間に、踏み込んだ足を踏ん張ってカベを作った直後に腰を引き戻してカベを作り、反作用の力を受け止めて自分の突きをさらに相手に押し込んでいる。これらの動作を一瞬時にやってのけるわけであり、これが本土で言われるところのガマクの用法だ。
沖繩空手道的師傅們的動作則是,在擊打的瞬間、固定住踏出的腳後立刻也將腰拉回固定住,承受住反作用力後自己的拳頭再更進一步的往對手壓進去。這些動作都是要在一瞬間做完,這就是(日本)本土所說的GaMaKu的用法。

また、体軸の重要性は今更言うまでもないと思うが、中心軸がズレてしまうと、上半身と下半身を上手く連携させることができず、下半身は上体を支えるだけで、作業(この場合は突き)は上体の筋力だけで行うことになってしまう。この連携を上手くとりまとめて、脚のバネを腰に、腰のバネを背に、背の力を肩に、と連動させていくのがチンクチである。
另外,體軸的重要性至今雖然都還沒提到,偏移中心軸的話,上半身與下半身就無法做有效的連結,只有下半身去支撐上半身的話,正拳的力量將會變得只仰賴上半身的肌肉。這些連結(指上半身與下半身)有效的結合在一起,腳的推進力傳導到腰、腰傳達到背、背傳達到肩膀,這一連串的動作就是ChinKuChi

沖縄の伝統空手では、腰の回転(捻転)、踏ん張り(居着き)、反作用による突き等を嫌う。微細に分解して見ると複数の動きになるが、それが一瞬にして流れるように連携することが必要であり、一つ一つの動作がバラバラに作用するような動きであってはならない。
沖繩傳統空手對於用腰的迴轉、固定住不動、反應這樣的攻擊是有異議的。儘管會將動作微細地分解成複數個動作來看,但這些動作是必須要一瞬間完成,將各個動作弄成不相連貫是不行的。(*6)

*6 初學者將動作拆得很細去適應動作我覺得是OK的,但這樣對於有一定練習量的人就非常不好在IOGKF的教學模式就真的完全不會去將動作拆得很細給人練習,對初學者也都要求要一起呵成的做完

これらは、最も基本的な型を練習することで身につく。三戦で養うのは、全身をコツカケで締める非常に動きにくい体勢において、体軸を保ち十分に腰を回して突く練習であるし、ナイハンチで前を向いたまま横への攻撃を行うのは、体軸を中心に保ったまま腰を回して突く(さらには引き戻す)練習に他ならない。
這些就是在練習最基本的型所要讓身體記住的東西。三戰所要培養的就是,利用提肛縮腹緊繃全身、在很難動作的站姿中安穩地保持體軸進行轉腰(*7)的正拳練習;而在內步進保持面相正面對側邊進行攻擊,則只是要保持體軸在中心地去做轉腰的正拳練習。

*7 個人認為這是筆誤,在三戰中並沒有要轉腰的練習

東恩納師範は、「型には、鍛錬のために技とやりにくいようにしてあるものもある。そうやって身に付けた技はどこででも使えるから」と語る。まさに、基本の基本となる三戦では、全身コツカケで固めた厳しい条件の中で身体の使い方を修練するのである。
東恩納師範如此說:「在型中,也會有為了鍛鍊技巧而特意將動作變得難做的狀況。如此練習下,身體記住的技巧將可以在任何情況下都使用得出來」。這也就是基本中的基本,三戰在做的事情,全身提肛縮腹緊繃住的嚴苛條件下去修練身體的使用方法。

また、新里師範は、「ナイハンチで横に攻撃するのは、決して技の練習が目的ではないんです。横にいる相手に攻撃したいなら、最初から横を向けばいいじゃないですか?もっと、その型が何を目的としているのかを理解して型の練習をする必要があります」と教えてくださった。
「內步進中,側面的攻擊絕對不是為了練習技巧而練的。假如想要攻擊側邊的敵人的話,一開始就面向側邊敵人不是比較好嗎?有必要更進一步地在練習型時,去理解這個型是為了什麼目的去做」新里師範則是如此教導。



之後若有閒暇時間再將後面的沖繩三大流派給介紹一下...

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